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岡山で原発の再稼働阻止を闘う! 岡山市北区岩田町6-11nazen岡山


by nazen-okayama

9月26日中手聖一さんのお話を聞く会報告

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子ども未来・愛ネットワークのメンバーである原明子さんのブログ「おかやまESDな日々」から転載させていただきました。http://blog.goo.ne.jp/aprilcome_2010

子ども未来・愛ネットワークの活動で、「放射能から子どもたちを守る福島ネットワーク」の代表中手聖一さんのお話をお聞きしたので報告します。

~以下中手さんのお話~

まず、多くの困難を乗り越えて岡山に避難して来られた方々とそれを支えてくださっている方々にありがとうございますといいたいです。子どもたちのために。

これまで6万人以上が県外に避難したと思われます。
そのうち半分が子どもたちとすると、3-4万人が子どもたち。
圧倒的に母子疎開が多いです。
しかし、もともと汚染地帯(こういう言い方は自分でも苦しいのですが)には30万人の子どもたちがいたので、9割は取り残されている状態です。

3月4月は、不安ではあるが避難の必要があるかどうかわからないという状況で、その中で避難する人は変人扱いでした。しかし5月6月とだんだん避難する人が増えてきました。

自分で一番予想がはずれたことは、こんなにも人は避難できないものなんだということです。
そして、それがおそらく放射能事故の特徴でもあり、自分が甘かったなと思っていることです。
津波ならば目の前に見えるので誰でも逃げるのですが。

みなさんに言いたいことは、まだ全国にこれだけ原発があります。
もし事故が起きたら、とにかく、わけのわからない段階で逃げてください。
そして、外から自分の土地を眺めてください。
その結果、ああ取り越し苦労だったなあと思えば戻ったらいいのですから。
中にいるとわからないです。
大丈夫と思いたい圧力がすごく強いのです。

双葉町というところは、町がまるごと埼玉県に引っ越しました。
町長さんに先日お会いしましたが、自分は間違っていなかった、外から眺めてよかったと言っておられました。

今でも福島では、子どもが外で遊ぶ姿は見られません。
この夏休み、6-8万人の子どもたちがキャンプなどで県外に出たと言われています。
プールに行くと、福島の子どもはすぐにわかったそうです。真っ白だから。
外で遊べず体力がないので、最初は現地の子と対等に遊べなかったそうですが、帰るころには同じように遊べるようになったそうです。

2学期が始まりまた通常の生活に戻りました。
凍結されていた人事異動があり、若い校長先生に代わったところでは、体育や運動会を強行する学校もあり、それに対して一部の親が抗議したり、体育を見学させるなどの動きもあります。

半年経って、もういまさら避難する人はいないだろうと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
親たちは悩みの中にいます。
避難させたいと考える親はむしろ増えています。

内部被ばくや健康被害のこともあり、今まで以上に切ない話をしなくてはならなくなりました。

グリーンピースのイリーナ・ラブンスカさんや、チェルノブイリ救援・中部の方を招いて勉強会も行いました。

イリーナさんはキエフで研究されている方ですが、子どもたちに健康被害がいつごろから、どこで出始めたかはわからないそうです。
ただ、2年も経った頃には、これはおかしいと、誰もが気がつくようになったそうです。
気がつくと子どもたちの半分以上が病気になっていた。
それは、風邪がなかなか治らなくて肺炎になる、体力がなくなっていくというような現れ方だったそうです。

事故当時のソ連は、30キロ圏内は強制避難をさせましたが、30キロ以遠には全く知らせなかったので、3年間というもの、そこに住む人たちは全く何の対処もしなかったそうです。
これはおかしいということになり、政府の役人が来て調べる、あっちでも調べる、こっちでも調べるという風にして汚染マップが作られたそうです。

チェルノブイリ救援・中部が支援しているウクライナのナロジチ地区では、事故の2年後と事故の3年前を比べると子どもの有病率は8倍になったそうです。
(ナロジチ地区の汚染レベルは福島の中通りと同じレベルです。)
病気といってもガンや先天性障害はわずか、一部でしかありません。

5人で10個の病気を持っている。
5人にひとりしか健康な子どもがいない。
5人子どもがいるとして、ひとりめは健康だが、2人目は1つの病気、3人目は2つ、4人目は3つ、5人目は4つの病気を持っているというような状態です。

福島も何もせずにいると(それはありえないですが)そうなってしまうかもしれません。

あれだけおとなしくて、我慢するだけが取り柄のような福島人が、これではいけないと声を上げ始めました。
一日も早く避難政策の拡充を実現させなくてはなりません。

私の家のまわり(渡利地区)は1マイクロシーベルト/時、家の中でも0.6マイクロシーベルトで、
自分は家にこもるのが好きなタイプですが、それでも3月からだと10ミリシーベルトはくだらないかもしれません。
チェルノブイリでは、5ミリシーベルト/年以上で強制避難でした。
しかし、本来、日本ではどこに住んでいても1ミリシーベルト以下で安全にくらす権利が誰にでもあるのです。

汚染は福島だけではありません。
関東も無縁ではありません。
食べ物はもう全国に流通しています。

福島では、医者が誰も協力できない状況にあります。
ですから私たち市民の手で健康被害を明らかにしなければなりません。

次の避難のピークは、年度替わりではないかと思われます。
それまでにどんな支援ができるか、それまで食べ物はどうするか、手を打っていかなければなりません。

広島には「語り部」の方達がいます。
この原発事故の語り部は、全国に散らばって避難した人たちだと思います。
地元の人と力を合わせて一緒に取り組んでほしいです。

食べ物の汚染ですが、目指すところはもちろんゼロです。
しかしそれはもう不可能になってしまいました。
産地はあてになりません。
放射能そのものを管理しなければならないのです。
生協などで、独自に調査して販売しているところも出ています。

不安から身を寄せるようにして集まった私たちの会のメンバー間にももちろん温度差はありました。
すぐ避難させるという人から、まず勉強してという人から・・
でも私たちは、何も優先させないということを原則にしました。
何でもすべてすぐ今から取り組もうと決めました。

支援も同じでよいと私は思います。
いろんなことを考えるときりがない。
難しく考えなくていい。

福島に岡山の農産物を送ると福島の農家の人たちを苦しめるのではないかというご心配もいただきましたが、気にしないでください。
送ってもらった野菜を食べた子どもがその分汚染から守られるということです。
人間ですから多少はいろいろあるでしょうが、基本は福島の農家も誰もみんな安全な食べ物を食べさせたいだけです。

ただし、行政が住民の流出を止めるために始めた除染は別です。
思うようには下がらないし、だからといって2回目はもうできません。
1回目に出た廃棄物をこっそり市の処分場に持って行ったのがばれて、住民が怒りました。
今仮置き場ということにしていますが、処分法がないのです。

放射能がれきの搬入もきっぱり断ってください。
発生した放射能はその場所で処理するのが原則です。
拡散させないでください。

子どもたちの健康被害の訴えは、今はあまりないです。
5月頃、鼻血が止まらないという時期がありましたが、あれがピークでした。今は体力低下の方が多いかもしれません。
よく聞くのは、外から入った人や久しぶりに戻った人が、肌がぴりぴりするとか、喉が痛いとか、違和感があるという話です。
気のせいとも言われますが、みんな同じことを言われるので何かあるのではないかと思います。

岡山の人が福島に行ってできることは何かという質問ですが、むしろ、福島に来て、肌で感じてほしいです。
こんなに見た目は普通で他と変わらない町がこうなっていること。
現地の人と話し、想像力を働かせてつながりあっていくことが大事だと思います。

地元でできることはという質問ですが、このようなことに関心のある方はこれまでも何かされていた方が多いと思います。
そのことを何よりがんばってくださいと言いたいです。
そして、目の前の原発を止めるようにしてください。

私は今では、脱原発すら対立軸ではないと思っています。
欲やお金でつながった人たちと、それに反対する市民が対立軸です。

(文責:原 明子)
by nazen-okayama | 2011-09-26 14:00 | 活動報告